2009/04/25

金澤玉響 落椿 観音坂男坂

毎年八月(旧暦七月九日)四万六千日で賑わう観音院、に続く観音坂。
こちらは石段でちょっと急なので、
もう一本の観音坂(こちらは観音院に続かないんだけど)
と対比して男坂と呼ばれている。

春の午後、落椿踏み踏み、坂を登る。
既に散々踏まれ、色褪せているモノも多いけど
木漏れ日に照らさ朽ちていく落椿はどこか艶やか。
キツイ石段に俯きがちな視界を楽しませてくれる。

金澤の坂は、下の世界と上の世界を結ぶ異次元接続路。
風景はもちろん変わるし、家々、草木の佇まいも違うし、
空気の香りも刻々と変化する。

それが金澤の味わい。

(オリジナルは05年4月25日15時7分撮影)

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2009/04/14

金澤玉響 桜点描 浅野川

金澤の桜はソメイヨシノの他にも種類が豊富で、さらにそれぞれが旧市街の
南北に伸びる高低差、日照差のある斜面に少しつづ時間をずらして咲くので
大量の同種の桜が一気に咲いて一気に散る、という様な
「一般的な桜の概念」とは少々趣が異なる。

例えば兼六園と金沢城を結ぶ石川橋から、本丸跡から
例えば卯辰山の中腹から
近景に遠景に少しづつズレて様々な桜が咲き競う光景を眺めるのは、
金澤らしい桜の楽しみ方。

そういう時期も過ぎて・・・花片が地面を均等に埋め尽くす頃、
あちこちの地面がパッと明るくなって、
地面から枝から濃い桜の香りも漂って、
満開の頃とはまた違った華やいだ雰囲気に包まれる。

散りゆく桜は雪に例えられるけど、
なるほど花びらの絨毯は初雪が薄く積もった様にも見える。
静かに降った牡丹雪(気温があまり低くない時に降るフワフワした大きな雪)
が溶けずにそのまま地面に張り付いた様。
(09年4月14日16時24分撮影)


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2009/04/13

金澤玉響 W坂(石伐坂)

文学作品にもたびたび登場し、そのちょっぴり洒落た
ネーミング(見たまま?)とも相まって
金澤に数多く存在する個性的な坂の中でも特に有名。
藩政期には石伐坂と呼ばれていた(坂の上に石職人が沢山住んでいたため)この歴史ある坂の骨格、石組み、趣を最大限に残しつつ絶妙なさじ加減でリニューアルされた現代版石伐坂(W坂)。
金沢市はこういうコトがとても上手い。

ここは藩政期にお城から桜霞を眺めるために桜を沢山植えたあたりでもあり、渋い石垣と桜のマッチングはとても金澤らしい。

石段を踏む度、角を曲がる度、刻々と変化する眺めを味わっているうちに、いつのまにか降りて(登って)しまう。
寺町台地と犀川河畔という隣接している異界を結ぶ坂。
(投稿日時は撮影日時)

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2009/04/08

金澤流儀 春の段 桜流儀


その昔兼好法師が徒然草に「桜は咲き始めた頃から雨風が続いて・・心忙しく散り終わってしまう」と書き記しているけど、春の嵐がまず吹かない金澤では桜は楽しめる期間がとても長い。

藩政期にお殿様が城から桜霞を観るために植えた桜、兼六園に集められた様々な桜(ここにしかないモノも含め約40種類)軍都として栄えた頃、戦勝記念として植えられた桜、その後もいろんな機会に植えられた桜達・・・そして東西に三本の台地が指を伸ばす地形の程よい高低差、日照差も加わり、細やかな「桜ぷろぐらむ」がゆっくりゆっくり進行します。

まずは細部に宿る金澤の桜。
常緑樹の葉の上にも花片・・・風がないコトがよくお分かりになると思います。
マンホールも綺麗に花化粧。
ある意味これも「花見」まあ「桜風情」とでも言いましょうか・・・
金澤の伝統工芸はこういう何気ない景色からも日々新たな影響を受けているのだと思います。
笠舞のこの公園もささやかな桜所。
ほぼ満開になっても、花片はあまり落ちていません。

そして無風の夜、糠粉の様な、柔らかい柔らかい雨が音もなく降って花々をしっとり濡らして・・・徐々に徐々に枝垂れてくる桜を眺める楽しみも金澤流。
※方向は逆ですが同じ公園の同じ桜、かなり枝が枝垂れているのがお分かりになるでしょうか。
(拡大してご覧ください)

兼六園、上坂口を降りて桜ヶ丘口方面を眺める。兼六坂との間に咲くバラエティーに富んだ桜達。ここも道はキレイなままです。

下は石川橋(兼六園と金沢城の※搦め手、石川門を繋ぐ橋)
から眺める桜揃え。(※石川門をなんとなく表門だと勘違いされている方も多いでしょうが、こちらは裏門・・・お庭に繋がっている門ですしね・・)
金澤での桜の醍醐味の一つ、遠近に散らばって配置された桜風景。ここでの毎年の桜始終を眺めるのは幸せ。ちょっとだけお殿様気分。
夜になると石垣の下、その昔はお堀だった沈床園はお花見の特等席になります。
兼六園も夜桜見物でにぎわい
辺り一帯が幸せな桜のムードに包まれます。
この時期、もちろんこの向こうにも手前にもあちらこちらに満開の桜の園は展開しています。


桜名所の一つ、犀川桜橋〜大橋間の桜の下を通勤、通学路として愛用している人達も沢山いらっしゃいます。一年中こんな道を毎日通うなんて・・・金澤に暮らす日々の何気ない贅沢の一つです。花片はほとんど真っ直ぐ下に落ちて・・・吹き寄せられるコトもなく、綺麗な絨毯を出現させます。




男川犀川、女川浅野川、二つの川原にももちろん素敵な絨毯が敷き詰められ・・・まだまだ桜の宴が楽しめます。
観ている人達も桜景色に溶け込んで・・・

二つの川がなぜ男女に例えられるのか・・・それぞれに魅力的な川・・それぞれに金澤らしい・・・違いがこの写真からもなんとなくお分かりになると思います。



そろそろ地面に落ちている花片の方が多くなる頃。こんな場所も桜色にキレイに塗り替えられます。こちらは浅野川(左)

石垣の僅かな段差にも花片が積もってピンクのラインが・・・こちらは犀川(右)



笠舞の公園もすっかり桜化粧。ちょっと幻想的な雰囲気になってきました。(ぜひ拡大してご覧下さい)

十日後くらいにはこんな風に・・・今度は萼から下が、辺り一面に散らばります。これも趣のある桜の余韻。



それからさらに約7日・・・八重桜の花が散るころに兼六園菊桜が丁度見頃を迎え・・・一ヶ月近くにわたって続いた「桜ぷろぐらむ」はフィナーレを迎えます。  もう五月。ツツジ、菖蒲、杜若、そして竹の子の季節に金澤は入っていきます。

兼好法師は半ば逆説的に「桜の花は盛りだけを賞美するものだろうか・・散り萎れ残る庭も美しい」と書き記しましたが・・・
金澤では、桜はゆっくりゆっくり移り変わり様々な賞美に値する景色をつくり・・・とりわけ意識せずとも長い間に渡って私達を楽しませてくれます。

いらっしゃる方は何度でも、可能ならある程度滞在されて、この・・・金澤ならではの桜風姿をお楽しみ下さい。

2009/03/11

金澤玉響 冬の回り舞台 嫁坂

嫁坂
(加賀藩重臣が娘を嫁がせるにあたって造った、というのが通説)
の上から「冬の回り舞台」を猫と共に鑑賞する、の図。
(チラチラと粉雪が舞っている中、柔らかい光が射している)
金澤では「遥かなる雨上がりの空」の出現率がかなり高い。
そして遥かな空が再び雪雲に覆われていく
・・・そんな光景は単純にドラマチックで美しい。
「暗く寒い冬・・」と思われがちだけど、どうしてどうして・・・
冬の移り変わる空模様はとても味わい深い。
(何度も言うけど年間日照時間もそんなに少なくはない)
冬はぜひ「回り舞台」を鑑賞しに来て頂きたい。
もちろん住んでいる人達にも楽しんで頂きたい。
私は子供の頃からよく見惚れていました。
(2003年3月11日午後2時48分撮影)

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2009/01/02

金澤玉響 冬の霰上がり

金澤の冬の天候はしばしば目まぐるしく移り変わる。
霰が降り、日が差して雨が降り、日が差して、その日差しの中でまた霰が降って・・よく「冬の北陸の重苦しい空」なんて言われるけど、それは少しだけ間違っている。
細かく晴れ間が覘く(コトが多い)変化に富んだ天候。降水量は確かに多いけど日照時間もそんなに少なくはない(東京の年間1900時間に対して1700時間・・1割少ないだけ)
この日(お正月2日)も何度も天気霰に見舞われ、まるで街全体が「回り舞台」に乗っているかの様。
霰が溶けてシットリ濡れた街全体に、霰上がりの澄んだ大気を透過してきた淡い光が差してちょっと不思議な輝き。
ホテル貸し出しの揃いの傘(多分)を差す兼六園観光帰りの一団も、ビックリもしただろうけど、印象に残る金澤のお正月だったコトでしょう。
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2008/11/28

金澤玉響 上菊橋から

十一月の終わりの晴天の圧倒的な光。
上菊橋の心地よいベンチから。
私は高校の三年間、通学途中朝に夕にここからの景色を眺めたけど、ホント四季折々・・・印象深い光景を見せてくれる。
画面、左方向の山々から登ってくる朝日、月の出を眺めるのもよし。翻って夕暮れを楽しむもよし。もちろん昼の眺めも素晴らしい。
(オリジナルは07年11月28日9時50分撮影)

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2008/11/25

金澤玉響 浅野川大橋 紅葉の盛り

浅野川大橋とその上流に展開する風景。中の橋からの眺め。
浅野川、特に常盤橋〜小橋の間は一年中、様々な美しく趣のある光景を見せてくれる。秋のここからの眺めも格別。

川の緩やかなカーブ、卯辰山のなだらかな稜線、その向こうに見える山並み。それらを巧みに生かして・・作られたからこその光景でもある。
紅葉する木を配置して、橋のカタチを決めて・・・ここにはちょうど写っていないけど梅の橋(大橋と向こうにチラッとみえる天神橋の間に架かる歩行者用の通い橋)はなんと四代目だ。

金澤人が何代にも渡って作り上げてきた風景。
(オリジナルは07年11月25日12時59分撮影)

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2008/10/25

金澤玉響 上菊橋上流緑地 秋の真昼

ちょっと前に雨が上がったこの日、
ただでさえ透明な10月の空は、
大気全体が薄く輝いている様にも見える。
雲も青空もまるでプラチナをちょっと混ぜたようにキラキラ。
不思議な優しい色合い。

雨が多い金澤だけど、それだけ雨上がりの澄み渡った空は美しい。

犀川上菊橋上流に展開する緑地は旧市街の中で多分一番空に開いている場所。
空がこんなふうに輝いている日はここに来て、
遥かな青空を眺めるのも金澤らしい過ごし方。
しばしの時間をここで過ごした後は、川岸をゆっくり下って行かれても。
橋をくぐる毎にどんどん変わっていく風景も金澤、犀川ならではの味わいです。

(オリジナルは06年10月25日12時39分撮影)

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2008/10/12

金澤玉響 秋の月下鼎談

金沢駅のシンボル鼓門と二つの航空会社系列ホテルが、月下鼎談中。
それにしてもオンリーワンの、見事なデザイン。
何にも似ていないのに、どこか馴染みがあり、
そして風格も兼ね備えている・・・・と思いません?
金澤は街全体の造りも含め「歴史的なモノ」が多く現存する街だけど、
未来に残る新しいモノを生み出す力も持った街。 

歴史を大事にする街はともすると保守的になりがちだろうけど、
金澤は古いモノ、伝統を守り学びながら
絶妙な案配で新しいモノを(時として抵抗に遭いながら)生み出してきた。
これには大いに敬意を表したい。
(投稿日時は撮影日時)

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2008/10/01

金澤玉響 大乗寺坂 秋の夕方

鬱蒼とした本多の杜から立ち上がり出羽町へ抜ける坂。
金澤にはよくあるけど、人と自転車だけが行き来する坂。
歴史あるこの坂の魅力をよく理解する市によって、
さらに味わい深い坂として整備され、現在も多くの人の通勤、通学路になっている。
春の真昼の優しい木漏れ日、夏の真夜中の狂ったような蝉時雨もいいけど
真っ赤な夕日が真っ直ぐに奥の方まで差し込む秋も美しい。
(投稿日時は撮影日時)

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700有余年の歴史をもち、今は長坂町にある大乗寺が
今から400年くらい前この坂の下にあったためこの名がついた。
(室町時代に焼失した寺を前田利家が此花町に復興させ、
その後本多家がここに移転させ、さらに長坂に移転)

この坂も明治時代に陸軍の出羽町練兵場に取り込まれ姿を消したモノを
戦後金沢市が復活させた。「大乗寺坂」が存在するのは・・言わば前田家と金沢市の時代を越えた連携プレー。

2008/09/23

金澤玉響 金澤神社 神輿を担ぎ終わった男達

秋の金沢は格別の味わい
間もなく十五夜を迎える月にも誘われ、心地良く薫る風にも誘われ、一晩中歩いていたい誘惑に駆られながらの旧市街散歩。
無料開放の兼六園を抜けて金澤神社に来てみたら
(兼六園は最もいい時期に必ず無料開放)神輿を担ぎ終わった男達が集まっていた。
「え〜、皆さんお疲れ様でした。二三、注意事項をお伝えします…」
「半纏は色が落ちるので他のモノと一緒に洗わないように」「さらしは回収しないので各自自由に…」などなど・・・そんな話を聞いている面々。

この日は御山まつり(金沢城築城の際、戸室山から切り出した石を石引を通って運んだ当時をしのび、現在の発展を感謝&振興を祈願するお祭り)

優しい月が昇っています。
(オリジナルは07年9月23日夜8時58分撮影)

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